▲Top Page ▲新・私的な出来事 △戻る

 第17回ツール・ド・のと400 (2005年9月17〜19日)

プロローグ

自転車生活の瑕疵

 40歳を越えて自転車に乗り始めた私がMTBで少しずつ走る距離を伸ばし始めていた頃、自転車雑誌の広告ページで知って心惹かれたのが「ツール・ド・のと」というロングランイベントでした。自転車歴の短い私にとって3日間で400kmオーバーを走るというその内容は、それはそれはとてつもなく凄いことに思えました。そして同時に、もし自分にチャレンジするだけの力が持てたら、是非とも参加してみたい一番の目標イベントと考えるようになったのです。
 ところが皮肉なことに、最初に魅力を感じたこの自転車イベントとは、あまりいい縁に恵まれませんでした。数年前、仕事のスケジュールが微妙ななか、必死に金策まで立てて参加のための調整を試みたことがあります。ところがその時は、ある出来事のおかげで断念せざるを得なくなってしまいました。そしてここから躓きが始まることになります。
 一番行きたいところに行けなかった、行き場の無い怒りを紛らわしたかった私は、すでに捻出した「のと資金」を元に新しいフレームを買おうとします。ところがフルオーダーの採寸の参考にと乗って出たロードレーサーが、なんと盗難に遭ってしまいます。ここまででもまさに踏んだり蹴ったりの災難といっていいでしょう。
 しかし不運はそれだけじゃ収まりませんでした。躓きで失ったものを取り戻すため、翌年はケチのついた「のと」からはちょっと矛先を変え「ツール・ド・おきなわ」にエントリーしたのですが、今度はつまらない原因で負った背中の古傷が化膿。症状は出発前日に最悪となり、仰向けに寝ることすら出来ないほどになります。結局これも断腸の思いで参加を断念。エントリーフィーも宿代も航空券も全てを無駄にする始末でした。
 ようするに最初の「のと」を発端として、あらゆることにケチがつく悪循環に嵌り込んでしまったわけです。こうなると、もう「のと」は名前を聞くだけで腹が立つ対象でしかなくなってしまいました。
 幸い、その後も自転車には乗り続けることはでき、また別のロングランに何度か参加したりするうちに、1日の走行距離が200km以内なら、それほど辛い思いをせずに走れるようになってきました。そうなると当然、最初に抱いたようなチャレンジとしての「ツール・ド・のと」の魅力は自分の中で薄れていきます。加えて前記のようなケチのつき具合ですから、正直なところ「のと」という名前は、完全に記憶から消してしまいたいほどでした。
 しかし本当にそれでいいのか、という疑問も消えることはありません。このままでは、どう自分を誤魔化しても、絶対にやり残し感が心の奥底に残ります。言ってみれば自転車生活についた瑕疵なわけです。だとしたら、やはり悔いを残さないためにも一度は参加しておくべきなのかもしれません。ということで、複雑な気持ちを自分の中で交錯させつつも、今年で第17回となる「ツール・ド・のと400」への出走を決意しました。

とりあえず準備

 メジャーなイベントとはいえ、初参加の私にとっては勝手がまったく分かりません。そこでいろいろな自転車関係の掲示板や、参加経験者のウェブページのレポート等を読み漁りながら、自分なりに計画を練っていくことにします。
 まず基本的なスケジュールですが、つまらないトラブルで支障が出るのは嫌なので、なるべく日程がキツくならないよう、前後一日ずつ余裕を持たせた4泊5日とします。この時期にこれだけ仕事を休むのは正直かなり苦しいのですが、とにかく「のと」関係でこれ以上嫌な思いはしたくないため、強引に休みを取りました。
 自転車に装着するプレートは裏側にゼッケン番号が刻まれている。思えばこれを手にするために随分と遠回りをしてきた気がする
 前泊、後泊をする際、経験者には金沢市内を勧める人が多いようです。たしかにせっかく遠征するのだから多少の観光も、とか、夜は美味しいものを食べに出て、といったことを考えるとそのとおりなのでしょう。
 しかし私は食い道楽でもなければ酒を飲む気もないし、そもそも今回に関しては、楽しみにいくというよりは義務感の方にモチベーションが偏っています。また雨が降った場合のこと等を考えたら、なるべく会場に近い場所に泊まりたいところ。そこで松任駅に近いビジネスホテルを予約することにしました。
 アクセスも一番楽そうな方法をチョイス。東京駅から新幹線で越後湯沢まで行き、そこから特急はくたかで金沢へ向かう形でチケット確保です。
 また悩んだのが持っていく装備でした。なにしろ向こうの気候が良く分かりません。一部では、この時期の能登半島はかなり天候が不順という噂も。かといってデイパックひとつで行く身としては、そうそう余分なものは持てません。参加者のなかにはレーパン/ジャージの着の身着のままで現地へ行き、毎日宿で洗濯しその間は浴衣で過ごす、というツワモノもいるらしいのですが、さすがに未知の地にその覚悟で行く勇気は持てませんでした。
 結局持っていったのは、レーパーン、ジャージ、アンダー、グローブ、ソックス、ヘアバンド、汗拭きタオルを3日分。加えて、簡単なレインウェアとシューズカバー、ウィンドブレーカー、アームウォーマー×2、小さく畳める長袖Tシャツ&オーバーパンツ、下着2枚を衣類圧縮袋に小分けし、輪行袋や大量のパワージェルと一緒にデイパックに押し込みました。夜に出歩く気はなかったので、靴やサンダルは持ちません。
 自転車については、もしこれがレースなら問答無用でコルナゴを持ち込むところですが、ツール・ド・のとはべつにタイムを競うわけじゃありません。そして私のもう1台のロードレーサーであるルックのフレームは、前オーナーが98年にこの大会に参加し翌年のポスターに採用されてます。2人のオーナーで同じ大会に参加というのもオツかなと思い、今回はルックの方を選んで参加することにしました。日頃は通勤や練習に乗り回している自転車なので、とりあえず簡単に整備して余分な装備を外した後、タイヤだけは新品に履き替えておきます。それだけでパンクのリスクは減りますからね。

いざ能登へ

 新幹線と特急はくたかの指定席は車輛最後方を確保。自転車をシートと壁の間に入れておけば安心して寛げる
 新幹線の出発時刻はそれほど早くないものの、東京駅までの混雑を考えて少し早めに家を出発します。東急大井町線、JR京浜東北線と乗り継いで東京まで行き、2階建てのMAXときに乗車。車輛最後方の席を確保できたため、輪行袋はシート後方のスペースに押し込みます。
 このへんはそれなりの年期を積んだ自転車乗りの知恵。我ながら手際いいぞ、と思ったのですが、よくよく考えたら越後湯沢まではわずか80分弱。自由席のデッキでも大して苦にならなかった気もします。一方、越後湯沢からの特急はくたかは乗車時間2時間半以上となり途中停車駅も少なくありません。同様に車輛最後方を確保しておいたため、身近に自転車を置いたまま寛げてGoodでした。
 久々の列車の長旅はそれなりに風情があっていいもので、窓の外の景色も新鮮に見えます。日本海を見るのも久しぶり。そしてはくたかが富山県に入る頃になると、海の向こうにうっすらと小さな島のようなものが見え始めます。はて、あれは何だろう? と思いながら見ていると、進むに従って徐々に左手に横幅を拡げていき、ようやくそれが能登だと気づきました。やっぱりデカいです、能登半島。
 去年までは延々工事中だったという金沢駅前。何をイメージしたものなのか良く分からないが、なんとなく壮大っぽくてゴージャスな雰囲気は伝わってくる
 そうこうするうちに昼前には金沢に到着。妙にアート的でゴージャスな駅前で写真を1枚取った後は、予め地図を見て頭に叩き込んだ道順で松任を目指します。金沢市内は路肩が狭く路面も荒れ気味で、あまり走りやすい道とはいえないのですが、それでも都内に較べれば交通量が少ない分ストレスはそれほど感じません。
 道中、路肩を走る私ををわずかに右側に避けようとしたクルマに対して、猛然とホーンを浴びせながら追い越しをかけるミニバンが1台。「ああ、何処にもあーゆーのがいるんだなぁ」と思いながら見送ろうとすると、ついているのは見慣れた首都圏ナンバーでした。同じ地域に住む人間としては恥ずかしいかぎり。
 そういえば北陸本線に乗っていた時から感じてたことがひとつ。この辺りは海に近いにも関わらず、川や水路の水面が妙に近い気がします。たまたま満潮時に重なっていたのかもしれませんが、それにしても、あと水位が1.5mも上がったら道路が冠水するんじゃないかと思うくらい、すぐそこに水面があります。ひょっとすると日本海は太平洋ほど潮位の変化が大きくないのかな? ある意味、水を身近に感じる風景といえそうでした。
 30分ほど走ると松任駅の近くのホテル前に到着。ウェブページの写真を撮影したのは何年前? と思うような、やや年月の経過を感じさせる現在の佇まいですが、位置的には本当に駅のすぐ近所です。明日にしても帰る日にしても天気の保証はないのですから、このへんは非常に重要なポイントといっていいでしょう。
 ただチェックインには少々早すぎます。とりあえず荷物を背負ったまま会場へ行き、まずは受付を済ませてしまうことにしました。
 地図とGPSを頼りに松任海浜公園を目指すと、間もなく目印となる風力発電の風車が見えてきます。北陸自動車道の側道に入る頃には会場への案内看板も現れ、難なく辿り着くことができました。

 会場に立つ大看板。周りに人気がないとなんとなくうら寂しい (写真提供てつさん)

盛り上がりのない前日

 会場にはすでにテントやら横断幕やらが張られ、それなりに大イベントの前日らしい様相は呈しています。しかし乗鞍やツール・ド・おきなわの、前日からの賑わいぶりに較べるとかなり閑散とした印象。なにしろ人がほとんどいません。時刻が早いせいもあるんでしょうけど、これで本当に1000人もの参加者が集まるんですかぁ〜? と不安になるほどでした。
 なにはともあれ参加表を渡して受付を済ませ、ゼッケンや記念品等の入った紙袋を受け取ります。自走で来る人間もいるのに紙袋はないよなー、とはちょっとだけ思いましたが、こんなところで贅沢を言っても仕方ありません。とっととデイパックに括りつけて会場を後にします。あまりにも閑散としているので、知った顔を捜そうという気も起こりませんでした。
 ちょっと年季の入ったビジネスホテルといった外観だが、なかなか居心地のいい松任ターミナルホテル
 ホテルへ戻ってもチェックイン時刻まではまだ間があります。そこで荷物だけ預かってもらおうかとフロントに行ったら、向こうも事情を分かっているらしく、気を利かせてそのままチェックインさせてくれました。
 宿泊票の記入をしている時に話をしてみたら、じつはフロントのオネエサン(オネーチャンではない)もツール・ド・のとを走ったことがあるとのこと。話が通じやすいわけです。それだけでこのホテルがちょっと気に入ってしまいました。
 さらにロビーには自由に使えてインターネットに繋がっているパソコンはあるし、洗濯も隣の民宿のコインランドリーが使えるし、コンビニもすぐ近所。朝食も明日は通常より1時間繰り上げてくれるそうです。結構いいぞ、松任ターミナルホテル。
 再び自転車に跨がり、夕方まで松任の街中を散策した後は、コンビニで軽く食料と飲み物を調達してから部屋に戻り明日の用意です。着用するジャージは少しだけ悩みましたが、上はなるしまジャージ、下はアソスの黒ビブに決めました。
 このジャージを着ると「あまり恥ずかしい走りをするわけにいかない」というプレッシャーがかかります。でも明日はクラブ仲間も数人参加するはず。落ち合う目印にもなるだろうと勇気を出して着用することにしました。
 ジャージには2枚のゼッケンを安全ピンで固定します。ゼッケン番号の下にはスポンサー名らしき名前が書かれていて、1枚は「プルデンシャル生命」、もう1枚は「ゴーゴーカレー」。前者はなんとなく分かるのですが、ゴーゴーカレーって何だろう?
 背中のポケットには1日分のパワージェル、ウィンドブレーカー、財布、携帯電話等を入れるので、これらは適当に防水バッグに小分けしておきます。明日は雨は降りそうにない様子。雨具は持ちません。
 用意が終われば、昨日までの仕事の疲れもあるので、とっとと寝る…つもりだったのですが、ふとTVを見ると『魔女の宅急便』が始まったところ。べつにアニメファンじゃないけれど、なんとなく見ているうちに引っ込みが着かなくなってしまいました。やっぱりよく出来てるな、宮崎アニメって。そんなわけで23時過ぎに就寝です。


▼初日へ ▼二日目へ ▼三日目へ

▲Top Page ▲新・私的な出来事 △戻る inserted by FC2 system