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第18回ツール・ド・おきなわ (2006年11月12日)

photo/CYCLINGTIME.com

レース出場には障害多し

 04年、05年と本島一周サイクリングに参加したツール・ド・おきなわ。もちろんそれはそれで楽しいのだけど、やはりこのイベントのメインはレースでしょう。公道閉鎖、なおかつ単純な周回コースではないレースなんて、素人サイクリストが走る機会はそうそうあるものじゃありません。
 そんなわけで今度こそはレースに出るぞと意気込んだ06年。まあ、意気込みほどに練習はしていないので端から成績には大きな期待はできないわけですが、とりあえず市民レース80kmにエントリーです。もちろん匿名R恵さんも市民レース50km女子に申し込みました。
 前年は9月末に腓腹筋断裂、いわゆる脹ら脛の肉離れをやってレース参戦を断念せざるを得なくなり、その影響で膝まで痛める始末。まともに負荷をかけて走れるようになったのは初夏になってからといった体たらくでした。
 なので今年は歳を考え、夏以降も極端に無理はしないように心掛けました。そしてなんとか大きな故障無しにツール・ド・おきなわの季節を迎えることができそうかなと思った11月の初め、なんと匿名R恵さんが通勤途中の歩行中に暴走ママチャリのアタックを受けて肋骨骨折! またもやアクシデントです。
 とはいえ、さすがにこの時期では泣きを入れてサイクリングに変更してもらうというわけにもいきません。匿名R恵さんには、もし移動だけでも可能ならとりあえず沖縄入りし、のんびり観光でもしてもらうことにします。で、私は予定どおりにレース出場。う〜ん、この悪い流れ、なんとか断ち切りたいものです。


自走するですか…

 結局、骨は折れても沖縄へは行きたいという匿名R恵さん、ツール・ド・おきなわ前々日の11月10日の段階で多少の不自由はありながらも動けないわけではないので、当初の予定どおり一緒に沖縄行きの便に搭乗することになりました。しかも一応自転車を持って…。大丈夫なの?
 2時間ちょいのフライトの後、我々は常夏の那覇空港に。降り立ってから「どうする?」と聞いたら(聞くなよっ)、「走る」とのこと。今回も重い荷物はホテルに発送済み。航空機輪行用のパッキング材も空港の手荷物預かり所に預けたので荷物は少ないし、レースの受付は翌日なので時間的な制約も無し。まあ、ゆっくり走って、ダメなら途中からバスに乗るということにしますか。てなわけで、ゆるゆると名護市方面へ走り始めます。
 最初はちょっと苦しそうな表情を見せていた匿名R恵さんでしたが、30分もすると身体が慣れてきたらしくペースも上がってきます。それでも無理をしないように途中で長めの休憩を入れたりしながら走った結果、無事夕方前には70km先の名護のホテルに到着しました。
 その後は名護市民会館まで様子を見に行ったりしてから、前年にHiSさんと行った漁港の近くの定食屋さんでソーキそばつきの刺身定食を食べ、沖縄を胃袋で堪能。一時はどうなることかと思ったものの、なんとかここまで辿り着けました。よかった、よかった。
 さらに夜はmixiの「自転車で遠くへ行きたい」コミュニティの方々合流するため、市内の居酒屋さんへ出撃です。私も匿名R恵さんもアルコールは飲みませんが、おきなわ経験の豊富なBさんやZさんからレースの話をいろいろ聞くことができたのが大収穫。レース初参加の不安がかなり解消されました。沖縄料理も美味しかった〜。


那覇空港から走り始めた匿名R恵さん。最初はちょっと辛そうだったが、走っているうちにハイになってきたのかほぼ通常ペースに
05年は2台のルックで走った沖縄だったが、06年は2台のコルナゴ。天気に恵まれたこともあって恩納ビーチの海は相変わらず綺麗だった。07年は…
名護市民会館前にはお馴染みの黄色いアーチ。やっぱりレース会場にはこういうのが無いと気分が盛り上がりません
今年もマスコットキャラクターのガンバルクイナ君がお出迎え。左に貼られているのが今年のポスター



本島一周をお見送り

 翌11日はレースの受付と80kmスタート地点への移動の日。しかし昼過ぎまではとくに予定はありません。そこでここでも当初の予定どおり、本島一周サイクリングに参加する方々の見送りにGo。ついでに市民レース50kmの下見も…って、匿名R恵さんレースまで走るですか!? まあ、下見してみれば、無理なものは無理と分かるからいいのかな。
 名護市民会館前へ戻る最後のパートは80kmでも走る区間。自分にとっても試走の意味があります。最後の大きな橋(陸橋?)の登りは気合いの入れどころなのかな?
 昼に一旦ホテルに帰ってからは、私はいよいよ翌日のレースの用意をして、受付とスタート地点への移動です。匿名R恵さんもとりあえず受付だけは済ませます。最終的な判断は当日朝に下すとのことだけど、本当に走りそうだよ、このヒト。
 私は自転車をトラックに預けた後は、シャトルバスの車中の人に。匿名R恵さんとは翌日の午後までお別れです。さて、完走でここまで帰ってくることができるのやら。


11日の7:00には一泊二日で本島一周する沖縄センチュリーライドがスタート。去年レース組だったS原夫妻はペダルファージャージでこちらを走る
先頭集団で颯爽と市民会館前を飛び出して行くS原夫妻。序盤は翌日の50kmレースと同じコースを走るので、この後我々も後に続いて試走開始
肋骨が折れてることをしばし忘れ、笑顔でコース試走中の匿名R恵さん
photo/CYCLINGTIME.com
一旦ホテルに帰って見下ろす名護漁港は穏やかないい天気。11月でこの気候だから、ツール・ド・おきなわは一度来ると病みつきになる

市民会館前には早くもテントが張られ各種ブースがオープン。受付を済ませた選手が買い物をしたり自転車の整備を依頼したりは毎度の光景
開会式では選手宣誓のほか国際200kmレースに出場するチームの紹介も行なわれる



オクマでリゾート

 この日の宿は、どうせだったらとちょっと値段高めのオクマ・リゾートとやらに申し込んでおいたのですが、着いてみるとそこはJALの高級リゾートホテルなのにビックリ。いいんですか、こんなところで。ようは他に大規模な宿泊施設がないし、一応シーズンオフだからということで何とかなってるんでしょうね。80kmだけでなく130kmの参加者もここに泊まります。
 夕食は数種類のバリエーションから自由に選べるので、私はあっさり系の炭水化物が食べたくて和食のバイキングを選択。広い敷地内を10分ほど歩いて目的のレストランに行ったところ、欠食児童のような自転車乗りが大挙して押し掛けているため、それはもう凄いことに…。同じ日に泊まり合わせた一般客は可哀想です。
 宿泊自体は、コテージ1棟を4ブロックに分けた各部屋に3人が同宿します。さすがJALのリゾートらしく贅沢な作りとスペースで、50kmの参加者にはなんだか申し訳ない思い。女子も80km走らせてあげればもっと人が集まるんじゃないのかなあ。ちなみに私が同宿だったのは、ひとりは横浜から来た方で、もうひとりは偶然にも同じなるしまのクラブ員のK野さんでした。


宿泊場所となっているJALプライベートリゾートオクマのコテージ。手入れの行き届いた緑に囲まれる、いかにも高級リゾートっぽい雰囲気
部屋の中はこんな感じ。落ち着いた調度品とゆったりしたスペースの3人部屋でレース前のチョイ泊にはもったいない
陽が落ちた後のエントランスがこれまたリゾート気分満点の演出。レース後もここに連泊して行く人が結構いる



サイクリングより観光できる?

 泊まったJALプライベートリゾートオクマと80kmスタート地点はちょっと離れているうえに自転車は搬送トラックに預けっぱなしだったため、朝は再びシャトルバスで移動しなければなりません。そのためレースのスタートは10時と遅めなのに、朝食やチェックアウト、さらにはバスの時刻に間に合うようにするには結構早起きする必要があります。自転車の置き場所に苦労する宿じゃないので、天気さえ悪くなければすべて自走で動いた方が何かと便利かもしれません。
 で、結局シャトルバスでスタート地点に着くのは7時頃。道路規制の関係でこういうスケジュールになるらしいのですが、おかげで3時間ほど何があるわけでもない漁港で暇を潰さなければならりません。雨が降ってたりしたら結構辛そうです。実際、前年はそういう状況だったそうで。
 それに私はスタート地点に着いた段階で預けておいた自転車も到着していたから良かったものの、朝、宿で自転車を預けた人は自転車が届くまでにかなり時間がかかったみたいです。このへんは改善して欲しい部分ですが、まあ、いろいろと難しいんでしょうね。ここも自走してしまうのが一番自由が利きそうです。
 自走組のなるしま関係の方々が集まってきたところでそちらに合流してみると、会長が「辺戸岬に行く」とのこと。どんなタイミングでウォームアップしたらいいかも分からなかったので、とりあえず後ろについて行くことにしました。
 漁港からちょっとした坂を上って行くとじきに辺戸岬入り口の看板が。過去2回参加した本島一周サイクリングではそのまま直進してしまう場所です。今回初めて岬の方へ入ってみると、ものの数100mも進むとまさに島の突端といった感じで視界が開け、青い大海原が目に飛び込んできました。
 広大な海。そして風が強いためか断崖の上まで飛沫が上がってくるほど足下で白い波が激しく砕ける光景は、じつに雄大です。サイクリングイベントこそ、こういうところで休憩させてくれればいいのにと思います。まあ、ここも天気が悪かったら休憩どころじゃないんでしょうけどね。


 
何も無いといっていいような漁港にシャトルバスで送り込まれるのはスタートの3時間ほど前。この時刻だとさすがの沖縄でもやや肌寒い
会長が「岬に行く」というのにくっついて観光気分のウォームアップ。天気はいいし空気はきれいだしクルマもいないしで気持ちいい!!
本島北端の辺戸岬。本島一周サイクリングでは少し離れた国道で素通りしてしまう場所
何かの碑の前で佇むのはゼッケン1001番の会長



レーススタート!!

 市民レース80kmのコースは200kmや130kmの前半部分をカットした形。なので我々がスタート待ちしている脇を200kmや130kmの集団が駆け抜けて行くことになります。というか、そのへんが行った後でないと我々は走り始めることができないわけで、スタート時刻は何時何分とキッチリ決まっているわけではありません。
 最初に通り抜けて行く国際200kmは先頭集団をヘリが追いかけているため「来たぞっ!」というのが分かるのですが、その後はどうなっているのか今イチ状況が掴めず。いつでもスタートできるように整列したうえで通り過ぎる選手に片っ端から声援を送る、という状況がしばらく続きます。
 とはいえ上のクラスには国際200kmも含めなるしまの選手がたくさん走っていますから、なるしまジャージを見つけるたびに「なるしま頑張れーっ!!」と叫びます。でも脇で思いきり腹に力のこもった声で「イィケイケイケイケイケ〜!!!!!!!!」と分け隔てなく(見境なく?)絶叫する閣下の声援にはちょっと掻き消されがちだったかも(笑)。
 市民200kmのメイン集団が通過した後は上のクラスで遅れたグループやら別のクラスの先頭やらが混ざりあって通過するようになり、どれがどのクラスの集団なのか分かりにくくなってきます。そうこうするうちに130kmの集団も迫ってきたようで、ようやく「次の130kmの集団が通り過ぎたらスタートしまーす」というアナウンスが出ました。
 ところがその段階ですでに通り過ぎようとしていたのがじつは130kmの先頭集団だったらしく、アナウンスが終わるか終わらないかでいきなり「パーンッ!」と号砲。「ありゃりゃ、もうですか」ってな感じで、緊張感が高まる間もなくレースは幕を開けたのでした。


集団落車発生

 スタートしてしばらくは海沿いの平坦路。しかもそこそこ強い追い風ということもあって、集団のスピードは速いところでは50km/h近く出ています。それでも完全に交通閉鎖された広い道なのでとりたてて怖くもなく、じつに気持ちよく走れます。そう、これがやりたくて沖縄まで来たんだから、存分に楽しまなきゃ損です。
 ただ路面にはところどころ金属製のジョイントがあったり舗装の継ぎ目があったりもします。このスピードで何かあったら…と考えると、やはりそうそうのんびりと構えているわけにもいきません。
 スタート時点で自分の前にいたのは多分50〜60人。短いとはいえ長丁場なので慌てて前へ出る必要はないのでしょうが、安全を考えるとあまり後ろにいたくはありません。そこで右側からジワリジワリと前へ上がって行くことに。で、なんとか先頭の20人くらいの中へ紛れ込めたかなと思った頃、少し後ろで「ガシャッ」という音がしました。
 最初は単発の音だったので「ん? 大丈夫だったか?」と思ったのですが、その直後には「ガシャガシャガシャガシャッ…」という嫌〜な音が遠ざかりながら聞こえてきます。次いで「落車〜!!」の声。音の感じからして2台3台の落車ではないでしょう。「たしか会長は少し後ろにいたよなぁ、大丈夫だったかなあ?」などと思ったものの、こんなところで振り返っていても危ないのでそのまま行くことにしました。
 後で聞いたところによると、会長は集団落車のすぐ後ろを走っていたけれどスイスイッと何事も無かったかのように避けていったとのこと。自分のようなヒヨッコが心配をするような人じゃなかったみたいで…。妖怪みたいなもんです。


山岳区間で遅れる

 10km強の平地区間を走り与那橋手前で左に曲がると、いよいよ普久川ダムに向かっての登りが始まります。ここまでは少し前方にH比野さんが見えていたので、なるべく遅れないように着いていこうかと思ったのですが、走り込んでいる人との脚力差はそんなに甘いもんじゃありませんでした。
 勾配がグッとキツくなったところで、こっちは早くも心拍が170をオーバー。ここだけならちょっと頑張れば着いていけないことはないペースでしたが、この先まだ70km近くを走らなければならないかと思うととてもそんな気には…。まあ、どうせここで少しばかり頑張ったところでダムまで着いていくことはできなかったでしょう。
 そんなわけで後はひたすらマイペース。まわりを見回してみると、ここが2回目の登りとなる200kmや130kmの人達の中にはかなりヘバっている人がいます。そういう人達をペースメーカーにしたり(情けない…)抜いたりしながら登り続けると、2〜3回の偽ピークの後にやっとダムに到着しました。当然のことながらH比野さんの姿は影も形もありません。
 ここからはしばらく東海岸まで降りる下り区間が続きます。今回の私の自転車は50/36Tのコンパクトクランクに12-25Tのスプロケットの組み合わせ。トップ側のギアが足りなくなるのがやや心配だったのですが、実際には登りで疲れた脚で回せるギアはタカが知れてました。50×12があれば充分でした。
 たしかに場所によってはもう少し速いギアがあるといいかなと思うことが無いわけじゃありません。でもそういうところはほんの僅か。足りないと感じるくらい脚力がつけばコンパクトクランク自体必要なくなるでしょうから、そういう意味ではこのツール・ド・おきなわのコース、自転車レースにはちょうどいい負荷ダイナミックレンジなのかもしれません。


勝手知ったるアップダウン

 安田・安波分岐点から有銘までは本島一周サイクリングで2回走っている道。平坦路は一部だけでアップダウンがひたすら続く、初めて走るとやたらキツい区間です。ただ3回目ともなれば勝手が分かるので気は楽。下りは踏めるだけ踏んでいき、登りはほどほどに踏んでいく(笑)、下り番長状態で前を追います。
 このへんは手頃な集団があれば乗っかっていきたいところなのですが、なかなか都合よく手頃な列車に出会えません。そのうちふと後ろを振り返ると、いつの間にか10台近くが金魚のウンコのように。それじゃあこの人数で回していこうよと、少し引いてから後ろに下がろうとしたら、何故かみんなでペースダウン…。オイオイ、前を追う気がないですか。
 仕方ないので必死に先頭を引き続けているうちに、横に並びかけてくる人がいます。今回は怪我で出走できなくなった友人の代理で(正式に選手交代して)80kmを走っている、K谷さんが後ろから追い上げてきたのでした。脚力差は明らかなのでしばし引っ張ってもらうことに。おかげで少し前方を走っていたユルい集団に追いつき紛れ込むことができました。でもこのへんはタイミング悪く登り基調。大してスピードに乗らないので、まわりに人がいてもあまり嬉しくありません。K谷さんはK谷さんで先に行って見えなくなっちゃうし。
 慶佐次の手前からの10kmほどは、海沿いであまりアップダウンの無い区間。平坦だからやっとそれなりの集団が形成されました。しかしその先の登りに備えてかペースが妙に遅い。サイクリングに毛が生えた程度です。
 いい加減ペースが上がらないので、さすがにこれじゃマズいだろうと飛び出していったら…、距離感間違えてました。集団から完全に抜け出す間もなくすぐに登りに突入。中途半端に脚を使ったこともあって、あっという間に集団にごぼう抜きにされます。カッコ悪ぅ〜。


2度目の登りもペース上がらず

 ということで、ここからが源河CPへ向かう2度目の登りです。金曜日の夜にmixiのコミュの方々に聞いた話では、この登りは大抵の選手が脚が攣る一歩手前で必死にペダルを踏んでいるんだとのこと。ようするに力の絞り出しどころなわけですね。
 ならば自分も変に力を残さないようにしなければと頑張るのですが、悲しいかな思うようにペースは上がりません。そのうちになるしまジャージが2人、脇を抜いていきました。最初の登りでも近場を走っていたY崎さんと同室だったK野さんのようです。
 極端な速度差はないのでなんとか食らいつこうとするのですが、それでも距離はジワジワと開いていく感じ。マズいなーと思っていた時でした。なんとコース脇に会長夫人と社長夫人、それに本島一周を1日で切り上げ観戦に駆けつけてくれたS夫妻が声援を送ってくれています。こういう状況での知人の応援はすごく力になります。気力を振り絞り、決定的な距離が開かないようにしてピークを通過。そのまま脚を休めずに踏み続けて、なんとか下りで2人に追いつきました。
 下りきった交差点を左折するとき、K野さんが「抜けたー!!」の声。それで源河のCPを足切りにかからず通過したことを知りました。あとはゴールまで走りきりさえすれば完走確定です。ちょうどなるしま3人が固まっていたので、K野さんが「回していきましょう」と声をかけてくれますが、この時点では2人に離れずついていくので一杯いっぱい。回すどころじゃありません。ごめんなさいっ!!
 ただこの先は土曜日に試走した区間でもあり距離感は掴めます。それに途中の大きな陸橋で速い人に置いていかれるのは分かっていたので、あまりまわりは気にせず、最後まで脚が持つ程度に回復を考えることにしました。
 下ハンを持ってなるべく高めのケイデンスを保って走っているうちに、登りで溜めた乳酸が多少は抜けてきたのが感じられます。こうなると数kmの平地巡航をなるべくハイアベレージで走るようにすればいいだけ。風はいつの間にか向かい風になっているものの、姿勢を低くしていればそれほど気にならないレベルです。源河CP通過後に引けなかった分、なるべく前に出るようにします。


やった! 完走!

 そして最後のストレート区間。心拍は上がり、脚にも再び乳酸が溜まり始めるのが分かります。それでも自分たちのレースのために交通がシャットアウトされた道、それも対向車線のド真ん中を前に進むことだけを考えて走れるのだから、身体は辛いけれど快感です。そしてラスト200mほどで、ゴール後に力を余らせないつもりで最後のスパート。頭の中が真っ白にすっ飛ぶ直前の状態でゴールラインを通過しました。
 結果は完走174名中57位。タイムは2時間30分38秒529。最終完走者のタイムが3時間7分弱だったので、当初の目標だった完走は30分ほどの余裕を持って達成できたことになります。まあ自分的には上出来といっていいでしょう。最初の登りで姿が見えなくなったH比野さんは、私より2分半ほど早く34位でゴールしたそう。やっぱり速いなー。
 ちなみに優勝宣言していた会長はロー側のギアが何枚か使えないというメカトラに見舞われたとのこと。それでもしっかり完走しているあたりはタダモノじゃありませんね。K戸爺も肋骨が折れて腕にもヒビが入っているのに完走。こちらも凄いや。
 ところで匿名R恵さんはというと、結局肋骨をサポーターで押さえながらも出走したそうで、落車に怯えつつ走ったわりには完走66名中34位で完走。沖縄まで来た甲斐があって良かったね。
 レース後は例によって市民会館の裏庭で表彰式を兼ねた飲み食い自由のふれあいパーティ。いつもどおり豚の丸焼きは人気の的でした。また夜はなるしま関係者の宴会に顔出しさせてもらい、再び沖縄料理とトロピカルなジュースで胃袋にご褒美。トータル収支はプラス側になっているかも。


我々がスタート地点へバスで移動している頃に名護では市民レディースレース50kmがスタート。匿名R恵さんもちょっと緊張の表情で走り始める
photo/CYCLINGTIME.com
市民80kmのスタート待ち。国際200km、市民200km、市民130kmの集団が左車線を通過すると、いよいよ我々のレースが始まる
ゴールはY崎さんK野さんと3人でなるしま列車状態。ちょうどまわりに他の選手がいないタイミングだったので結構目立ってたかも?
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ゴール後に見つけた80kmの年代別リザルト。べつに表彰などがあるわけじゃないが46歳以上で4位だった



レース後に行なわれるふれあいパーティーは飲み放題食べ放題状態。普通は滅多に目にすることがない豚の丸焼きも振る舞われる
地元物産ブースで海音鳥笛という笛を売ってるオニーサンは竹箒の柄で作ったスペシャルな笛で演奏を披露していた
夜はなるしま関係者の宴会に紛れ込む。これはゴーヤーとドラゴンフルーツのジュース



オマケは首里城

 一夜明けた翌日も天気は問題無し。匿名R恵さんもまだまだ元気そうなので、帰りも那覇まで自走することにしました。往きよりも快調ペースだったこともあり、那覇に着いた段階で飛行機の時刻まではかなりの余裕。それではと首里城も軽〜く見学してきました。
 自転車を置く場所の問題もあったので深くは立ち入らなかったけれど、一般人の観光じゃないのでとりあえずはこんなもんでしょう。でも次回は少しパターンを変えて、もっと観光を取り込めるようにしてみるのもいいかもしれませんねぇ、匿名R恵さん。そのためにはもう肋骨折らないでください。


翌日も天気が良かったので名護〜那覇は自走で移動。ついでに首里城にも行ってみたが、時間が中途半端だったため門の外から眺めただけ
首里城は大きなひとつの城がデーンと建っているというより沢山の施設が丘陵地帯に広く展開しているといった感じ
那覇市内に入ったところで国道沿いに現れた見慣れた吉野家の看板には「タコライス」の垂れ幕
これがタコライス吉野家風で、上からピリ辛のソースをかけて食べる。味はまずまず




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